獅子鮟鱇詩詞

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<<   作成日時 : 2011/08/13 11:13   >>

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 第2回東京ポエトリー・フェスティバルと第6回世界俳句協会大会2011(TPF2&WHAC6 2011)
     http://www.geocities.jp/tokyopoetry/  
の事務局の仕事をしていると、言語について大いに思う。
 チラシを配ってくれるようお願いをして、「そうですか、国際詩祭。言葉がわからないから、聴くのも大変でしょうね。」といわれもした。
 日本語で書かれたものでも、わからない詩はたくさんあるのに。
 日本語で書かれたものでわかりやすくても、なぜかくもつまらぬことを書くのか、それがわからない詩もたくさんあるのに。

 わたしは日本人だから日本語はわかるが英語はよくわからない、ということは一応はわかる。
 しかし、わかることだけが、詩に接する道ではない。

 きのうきょうで、言葉をめぐって面白かったのは英語。
 きのうモンゴルの詩人に、今朝スロベニアの詩人に英語でメールを送った。
 英語でメールを送ることには、この数か月でだいぶ慣れたが、大学卒業後の40年間、英語に接することがほとんどなかったのでとても面倒。
 伝えたいことが伝わらないというトラブルがないことだけを祈ってメールを送っている。
 相手の言語に対する想像力を期待し、相手からのメールには自分の想像力に自信をもって対処する、そうするしか前に進めない。
 それでも、大事なときには娘に翻訳を頼む。娘はTOEIC910点。英語の連絡文書作成漬けの6年間、商社勤めののち結婚してオーストラリアで3年間暮らした。現地の英語学校ではインド人や中国人に英文法とスペルよく聞かれるほどに日本の英語教育の優等生ぶりを発揮した。娘によれば、日本人は話すことを学びに英語学校に通うが、インド人や中国人はスペルと文法を学ぶために学校に通うのだそうだ。

 その娘に翻訳を頼むと、さすがなもので、なるほどという英語になる。
 それを海外にメールで送る。
 すると、質問なりが来る。
 いちいち娘に頼めないので、わたしの英語で応える。
 何が起こるか、というか、何が起きているかといえば、娘の英語と私の英語の落差に相手がとまどう、そういうことがきっと起きているのだが、幸い今のところはトラブルはない。

 しかし、ここで大事なのは、ことほどさように英語に頼らなければ国際詩歌祭は開けない、ということではなく、海外からの参加詩人は、自分の詩を日本の聴衆の前で読むために、ことほどさように英語に頼っている、ということだ。
 自分の詩―これは母語。

 母語と英語。その関係が面白い。

 詩の言葉は日常生活の言葉とは違う、という言葉が確かジャン・コクトーの詩集にあったが、詩語は母語、日常の言葉は英語、
ということが、国際詩歌祭の言語環境なのだ。
 そこには、聴衆がわかろうがわかるまいが、これだけは譲れない、という形で、母語の矜持がある。
 その矜持を尊重し、わかろうがわかるまいがとにかく傾聴する、それが国際詩歌祭なのではないだろうか。

 翻訳で読んでつかんだ詩の内容などはぼやけてしまうものだ。もう忘れた、ということが山ほど。
 しかし、人に譲れないものを毅然と肉声に乗せ、母語で訴えていたあの詩人、この詩人の姿は、いつまでも脳裏に残る。
 東京ポエトリー・フェスティバル2008の時、そういう詩人は何人もいたし、今回も何人もいるだろう。

 わかろうがわかるまいがとにかく傾聴する、そうすると、詩とは何かがよくわかる。

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