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zoom RSS 音楽だけ残らむ/われらが目覚めた魂には/鉄格子の間に  ユディット・ヴィハル

<<   作成日時 : 2013/05/02 19:36   >>

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 『世界俳句2013第9号』には、日本語へ翻訳すれば短歌ほどの長さとなり、短歌よりも長い俳句も少なくない。
 たとえば、ハンガリーのユディット・ヴィハルさんの句

  音楽だけ残らむ/われらが目覚めた魂には/鉄格子の間に

 この句35音。
 ハンガリー語はわからないが、英訳をみると、

  音楽だけが残る 鉄格子の間に目覚めたわれらの魂には

 と訳した方がわかりやすいかとも思うが、わかりやすければ俳句、というものでもない。
 いずれにしても、日本語訳は日本の定型俳句よりも相当に長い。

 そこで、日本の定型俳人は、欧米のHaikuを、俳句ではない、三行詩だ、などといってしたり顔をしたりするのだが、俳句であるかどうかは長さだけではない。
 ユディット・ヴィハルさんの俳句が柱としているのは、音楽、魂、鉄格子の三個であり、その三要素で俳句の三句が構成されているから俳句なのだ。だから、

  音楽に魂めざむ鉄格子

 とでもすれば、五七五になる。

 だったら、日本語へ翻訳すれば五七五になるようにハンガリー語で詠めばよいのに、というのが日本の定型派俳人。
 しかし、ユディット・ヴィハルさんのハンガリー語の原作を見ると、母音の数が五七五。
 つまり、日本の俳人が五七五だというものだから、彼女もハンガリーで五七五に詠んでいるようだ。
 彼女の他の作品もおおむね五七五。

 しかし、ここで考えなければならないのは、ユディット・ヴィハルさんは日本語に通じている俳人であり、日本の俳句は日本語で読める人だということ。
 そして、それらの日本語の俳句をハンガリー語に翻訳すれば、五七五にはならず、ずっと短くなる、ということを知っているということだ。

 音の量において日本の俳句と同等であることを求めるのか。それとも、
 意味の量において日本の俳句と同等であることを求めるのか。
 欧米の俳人はその狭間で苦闘しているように思う。
 その苦闘を慮ることなく、あれは三行詩だとか、俳句は日本人にしかわからない、とか言っている日本人は暢気なものだ。

 海外の俳人の方が、俳句が抱える矛盾を熟知している可能性がある。俳句をよく知っている可能性がある。
 もちろん、その個人差、雲泥であるにしても。
 そこで、俳句とは何か、をめぐって討論をすれば、日本の俳人の多くが言い負かされるだろう、と思う。
 信念だけでは、議論にならないからだ。

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コメント(3件)

内 容 ニックネーム/日時
以前,只知道俳句的名字,写法等都不知道。原来在欧洲也有人喜欢俳句。
一地清愁
2013/05/02 19:47
 中国の詩人も俳句を詠んでいます。
 漢俳は漢語で五七五、曄歌は三四三。漢俳は十六字よりも一字多く、閑中好よりも一字少ないです。そこで、詞のように作ることもできますが、四句ではなく三句であるところは、漁父引に似ています。
 ご参考まで。
獅子鮟鱇
2013/05/02 20:33
谢谢赐教。
一地清愁
2013/05/03 21:06

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