台灣へ詩魂飛びゆく月の中
わたしのブログの記事が台灣で紹介された。
台灣の呉昭新先生がわたしのブログを下記「台灣文学部落格」で紹介してくれた。
http://140.119.61.161/blog/forum_detail.php?id=3995
紹介されたのは、
「台湾の十字の俳句にある明日」
http://shiciankou.at.webry.info/201006/article_22.html
と
「俳句は何であるかではなく、俳句に何ができるかを問うということ」
http://shiciankou.at.webry.info/201006/article_20.html
とてもありがたい。
とくに、「俳句は何であるかではなく、俳句に何ができるかを問うということ」という問いが、
日本ではたわごとと思われるかもしれないが、世界では通用するということが、確かめられたからだ。
俳句は文学である以上、そして、詩である以上、何ができるかということが問い続けられなければならない。
「俳句は何であるか」を問うことは、「俳句は何であったか」を問うことに他ならず、それは、博物館の仕事であるからだ。
ここでわたしはポール・ヴァレリーを引用したいが、40年近く前に読んだその文を再び探し出すことができない。
ただ、確かなことは、博物館の仕事に価値がないとはいえないが、それは、詩人の仕事ではない、ということだ。
十字俳句・千里共嬋娟 2010.07.01 -1200
a 詩魂張翼向台灣,月嬋娟。
○○●●●○☆,●○☆(中華新韵八寒平声☆の押韻)
詩魂 翼を張り
台灣へ向かふ―
月 嬋娟たり
b 詩魂張翼向台灣,月明天。
○○●●●○☆,●○☆(中華新韵八寒平声☆の押韻)
詩魂 翼を張り
台灣へ向かふ―
月 天に明るし
c 台灣へ詩魂飛びゆく月の中
漢詩としてはaの方がよいが、cの訳に合わせるならb
押韻にこだわらなければ、月明天ではなく、月明中。
台灣の呉昭新先生がわたしのブログを下記「台灣文学部落格」で紹介してくれた。
http://140.119.61.161/blog/forum_detail.php?id=3995
紹介されたのは、
「台湾の十字の俳句にある明日」
http://shiciankou.at.webry.info/201006/article_22.html
と
「俳句は何であるかではなく、俳句に何ができるかを問うということ」
http://shiciankou.at.webry.info/201006/article_20.html
とてもありがたい。
とくに、「俳句は何であるかではなく、俳句に何ができるかを問うということ」という問いが、
日本ではたわごとと思われるかもしれないが、世界では通用するということが、確かめられたからだ。
俳句は文学である以上、そして、詩である以上、何ができるかということが問い続けられなければならない。
「俳句は何であるか」を問うことは、「俳句は何であったか」を問うことに他ならず、それは、博物館の仕事であるからだ。
ここでわたしはポール・ヴァレリーを引用したいが、40年近く前に読んだその文を再び探し出すことができない。
ただ、確かなことは、博物館の仕事に価値がないとはいえないが、それは、詩人の仕事ではない、ということだ。
十字俳句・千里共嬋娟 2010.07.01 -1200
a 詩魂張翼向台灣,月嬋娟。
○○●●●○☆,●○☆(中華新韵八寒平声☆の押韻)
詩魂 翼を張り
台灣へ向かふ―
月 嬋娟たり
b 詩魂張翼向台灣,月明天。
○○●●●○☆,●○☆(中華新韵八寒平声☆の押韻)
詩魂 翼を張り
台灣へ向かふ―
月 天に明るし
c 台灣へ詩魂飛びゆく月の中
漢詩としてはaの方がよいが、cの訳に合わせるならb
押韻にこだわらなければ、月明天ではなく、月明中。
この記事へのコメント